コラム

【はしもとのあしあと】Vol.10 子どもと親は全く別の人間であるという話

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こんにちは、はしもとです。

春の香りがあちらこちらに。外に出るだけで嬉しい気分になる季節ですね。

桜が咲くと、娘のバースデーが近いことに気がつきます。
最近、また一段とお姉さんになった娘と、距離感が離れたなあと思うことが多くなりまして、そのことについて書きたいと思います。

娘が5歳になるらしい

もはや衝撃的すぎて他人事になってしまうのですが、この4月で娘が5歳になります。
5
年て・・あの出産からもうそんなに経ったのか。

今年度は、保育園の年中さん(4歳児クラス)です。小学校への入学が、少しずつ見えてきました。
首のすわらないふにゃふにゃで小さな赤ちゃんだったのに、いまや踊って走って、公園の遊具をスイスイのぼっていきます。

5年」という月日を思ったときに一番強く感じることは、他人感が増したこと。

つきっきりで抱っこばかりだった頃から考えたら別人としか思えない、それほど成長した娘を見ながら、彼女と私はまったく別の人間なんだなと、はっきり感じるのです。

言葉を通し、表現の幅が広がった

そう思った背景として、娘が言葉でのコミュニケーションを取れるようになってきた、というのがあります。
自分のいまの気持ちを言葉で相手に表現し、娘なりに相手の言葉も受け取るようになったからだと思います。

娘が読み書きを身につけはじめたのは2年ほど前。
保育園のクラス(2歳児クラス)でかるたが流行し、競い合いの新鮮な楽しさもあってか娘はかるたにどハマり、あっという間にひらがなが読めるようになりました。

はじめは「ほ」「い」「く」「え」「ん」といったように、目にしたひらがなの羅列を一字ずつ読んでいました。そのうちに、一字ずつ「書く」ことも、スタート。
生活の至るところに文字があることにも気がつき、家の中、スーパー、道路脇などでひらがなを見かけると、声に出して読むようになりました。

年少の3歳児クラスになってしばらくすると、「ほいくえん」と、単語として意味をつかみながら読めるようになり、最近では下の子に絵本を読んであげたり、先生にお手紙を書くこともできるように!
しかも意味が通ってる文章で。
いやあ、ほんとに、成長ってすごい…。

記憶力も身につき、「明日はおさんぽだから、水色スモッグと水筒とおしぼり持ってくんだよ!ティッシュは持っていかないよ!」と、的確に覚えて教えてくれます。
これは、私の方が追いつかないので、めちゃくちゃ助かります。

↑夕方の買い物前にメモを作ろうと、何を買うんだっけ?と思い出していたら、朝、「バナナ買わなきゃ」と私が呟いていたのを覚えていて、助け舟出してくれました。た、た、頼りになる・・・・!

また、家に新しい絵本があるのを見つけると、本当に欲しいと思っていたかどうかはよくわからないけれど、それっぽい表現をしてきます。
以前より、会話の距離感は近づいた気がします。
(そして、実際メルカリで絵本を買うことは多く、その辺の予測もしっかりできている・・)

きっと覚えているであろうことも、「えっとね~、忘れた」と言っていたりして、つまりは面倒くさい時の返し方を覚えたんだなと思います。たくましい。

他人の話に受け答えしながら、自分がやりたいことも同時にやってのける

文字の読み書きを知り、記憶を駆使することで娘は、

・ほかの誰かとコミュニケーションをとること
・自分を表現すること

上手になり、次第にこの2つの作業を同時平行でこなすようになりました。

本当にそう思っているかはわからないけど、ただ言いたいだけのことも口に出して言う。
今までもそういうことはあったと思いますが、
会話の中にうまく紛れさせて、聞いている人にはあたかも本当にそう思っているように聞こえる、そういう話し方ができるようになってきたんだなと、感じました。

嘘とは少し違う気がしますが、会話のバランス、コミュニケーションのバランスを取るようになっていく過程なのかもしれない。
娘がなにを考えているかが、言っている言葉から単純には判断できない、そんな時期が近いのかもしれない。

そう思ったときに、「あ、私は娘の気持ちを100%正しく理解したり、全ての欲求を満たすことは、もうできないんだ」と感じました。
それほど成長は複雑化して、一体感が遠のいた。
私たちは他人で、別のことを感じながら生きているんだなと、理解しました。

あなたとわたしは別の人間、違う気持ちを持っている、それは赤ちゃんの頃からそうだった

完全に他人同士なんだなあと思った時に、寂しいという気持ちは特になく、「他人なのに、こんなにそばにいられるなんて尊いことだな」と感じました。

親だから子どもの気持ちを全て理解するなんて、そんなことはできないし、本来できる必要もない。
考えてみれば赤ちゃんの頃から、そもそもそうだったなとも、思います。
赤ちゃんも別の人間だし、親とは困りごとも成長段階も違うので、だからこそ赤ちゃんは「泣く」という動作で訴えてくる。

なんで泣いているのか分からないことが普通で、そこを「親なのにわからないなんて」「親なのに泣き止ませられないなんて」と気に病むことは、本来しなくて良いんだよなあと、思います。
多少なりとも、そう思って自分を責めたりもしていた5年前の私自身に、「あなたのせいではない、周りの目を過剰に気にしなくていい。それは確定事項だから、心配しないで」と声をかけてあげたい。
(5年前に自分がそう声をかけられたら、だったらあなたが泣き止ませてよ〜!と思ったに違いないですが・・・周りに頼れなかったな)

これから娘が、獲得した言葉や気持ちを駆使し、自分をご機嫌にする方法、癒す方法、そうした生きる術を身につけていけたらいいなと、ざっくり思う春です。

 


<『はしもとのあしあと』”家族” に関するこれまでのエントリー>

Vol.2 イラスト=好きなことを始めたことで、娘に素直に「好き」と伝えられるようになった話

Vol.4 子どもを保育園に預けることは、私にとってどういうことか

Vol.5 夫の育休と、夫の協力があってこそ私はイラストレーターとして活動できるという話

Vol.8 娘を怒ってしまうことについて

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