同業の方と話して気づいた、「この悩みは私だけじゃない」
絵を描いていると、非常に細かいところに目がいきがちだし、こだわってしまいがちです。
「ここの線がなんだかしっくりこない」「このキャラクターの目の位置をあとほんの少しだけ右に寄せる方が良さそう」などなど。
些細なポイントに悩むなんて、こんなことに時間を取られるべきではないのに…と、細かいことが気になるたびに自分に少しイライラしていたのですが、先日地域の同業の方々とお話しする機会があり、皆さん同じようなポイントで悩まれたり、ジレンマを抱えられていることが分かりました。
個人で仕事されている方ばかりだったからか、皆さん自分自身に向き合い、悩み、調整しながら作業されている日々のようでした。私特有の悩みではないし、些細でどうでも良い悩みなどでは決してなかったんだなあと感じました。
絵を描く時間は自分のための時間でもある
「自分としてはこういうこだわりがある」というポイントについてあっさり修正が入ると無念な気持ちになることもありましたが、お仕事をする中で分かってきたことは、お互いの認識を細かくすり合わせ、より良くする作業が修正なのであって、修正が入る=私が悪い絵を描いているというわけではない、ということです。
依頼くださる方と私は、価値を作り上げるためにそれぞれ別のパートを担当している、そう考えられるようになってからは、絵を描く際に「修正が入らないように描く」のではなく、「目的に沿って描く」「楽しく描く」を大事にしています。
心身ともにコンディションが整っている方が、こんな方法はどうだろう?というアイディアも湧きやすく、ペンの進みも早く、質が整うように思います。
最近、修正前と修正後の絵、どちらも私は好きだなと感じられたお仕事がありました。こう思えたことは新鮮でしたし、とても嬉しかったです。
期待に応えようと過度に身構えるのではなく、自分のコンディションに目を向けて描くことを意識すると、モチベーションも自然と高く、表現を変化させる余裕も生まれるように思います。
「楽しく描けた」という過程を踏むことが、私を守る
お仕事ですが、いや、お仕事だからこそ、描いている時には純粋に楽しむ。
無視できてしまいそうなこの過程を確実に踏みながら表現していくことが、「絵を描くのが好き」という、私の根本にある思いを支え、守ってくれるように思います。
私が絵を描く理由はさまざまありますが、中心にはいつも「好きだから」があり、そこに行き着きます。
修正を無念に思ってばかりいたら好きでいられなくなってしまう。些細と思えるような悩みや苦しさも大事な感情として認めることに決めたり、「修正」に対する捉え方を変えたりすることで、描くことを好きでい続けられるよう調整しています。
鉛筆で幾重にも重ねた下書きを描いてしまったり、苦しいのにどんどん細かく描きこんでしまったり、iPadの前で1人で「ギャーーーッ!泣」と叫んだりする日々ですが、結局は絵が、線や色を平面に組み合わせることで何かができあがっていくという不可思議さが、おもしろすぎて大好きなのです。
絵を仕事にできることは大変さもひっくるめてやっぱり嬉しいし、これからも続けていきたいと改めて感じています。