「かぞく」とは、なんでしょう。
夫婦、子ども、両親や兄弟祖父母、従兄弟はとこ..
血のつながりを持つ人たちが集まり、一つ屋根の下に住んでいる。
それが「家族」。
というのが、普通のイメージかなと思います。
血のつながりがなくとも、
「大切にしたい」「気が合う」「かぞくのようだ」と思う人や生き物と共に、
日々を暮らしたり、子育てをしたり。
必ずしも「普通」にとらわれず、自分に合った・自分たちに合った形で、生活する。
そんな我慢しない「かぞく」の在り方を提案する展覧会『かぞくって、なんだろう?展』が、2018.6.30(土)~7.7(土) 東京都豊島区の「ターナーギャラリー」で開催されました。
今回は、イラストレーター・はしもとと、Kanokoの編集長・佐藤が見てきたことや伺ったお話などをレポートします。
『かぞくって、なんだろう?展』とは?
「かぞくって、なんだろう?展」(以下、かぞく展)は、型にはまらない新しい「かぞく」の形を紹介する展覧会です。
題材となる「かぞく」の写真やストーリーを展示。ご本人たちと交流したり、対談、映画上映、ライブペイントやワークショップといったイベントも開催されました。
FB https://www.facebook.com/kazokuten/
HP https://kazokuten.wordpress.com
順路①:1階 かぞく写真の展示 〜写真からイメージする〜
まず1階は、題材の「かぞく」のかぞく写真8枚と、メイン写真の垂れ幕を展示。これしかないので、部屋がガラーンとして広く感じます。
かぞく展の実行委員で、結婚せずに出産する選択をした「かぞく」でもある櫨畑敦子(はじはたあつこ)さんに伺ったところ、1階は「イメージが先行する場所」という位置付けがありました。
写真を見て、自分の世界の中だけで、そのかぞくを想像する。
私たちが普段SNSやテレビを見ながらしているのと同じようなことが起こりやすいよう、あえて展示の要素を少なくしています。
順路②:4階 かぞくのストーリーの展示 〜「かぞく」を知る〜
次は4階。それぞれどんな「かぞく」かや、「かぞく」になるまでの年表など、ストーリーが展示されています。
協賛のYogibo(ヨギボー)のクッションに座りながら、ゆっくり展示を見ることができました。
それぞれの「かぞく」の形は、実にさまざま。
— シェアハウスに住みながら。
— 別の家族と合体したり、解散しながら。
— 病気や障がいと付き合いながら。
— 生まれた時から施設で育ち、現在はかつて生活したファミリホームで働きながら。
— 血縁に限らず、昔からの気のおけない方々と一緒に。
展示では『ポリアモリー』『ステップファミリー』『非婚出産』といった用語を使わず、それぞれの「かぞく」を『○○さん家』と表現しています。来場者が用語のイメージにとらわれず、内容をありのままに受け取れるよう工夫されていました。
『食べられたくないものには名前を書く』などの生活感あふれる「かぞく」間のルールや、這い出していく赤ちゃんのおしりの写真。うちも同じ。わかるわかる。と、親近感が湧いてきます。
自分と結婚した「かぞく」、はなちゃんとおしゃべり
会期中は「かぞく」と交流することもできます。
私たちが行った時はちょうど、自分と結婚した「かぞく」である花岡沙奈恵さんが来ていました。
(Kanokoでの花岡さんの記事は、こちら)
はなちゃん:ここ3年くらい、緑のワンピースを ”制服” のように着ていましたが、かぞく展も始まるし気合いを入れて新調。古着屋のお姉さんが、この先も長く私に似合うと思う服を、わざわざ出してきてくれました。
はじめは合わないかも?と思ったんですが、試着しているうちにストンと自分の中に落ち着いてコレに決めました。違和感があっても、向き合っているとなじんできますね。ベルトはお姉さんがオマケしてくれました!
—— はなちゃんの感性、素敵です。自分婚式をすると決めたときは、どんな気持ちだったんですか?
はなちゃん:式をしようと決めたものの、「自分婚式って何?みんな来てくれるの?」と不安で。よしやろう!と、突っ走れたわけではなかったんです。
佐藤:人とは少し違うことをする時に「私には私の考えがありますので」という雰囲気だと周囲との間に距離ができてしまいがち。でもはなちゃんは、誰かと一緒にいることが自分の幸せだと知っているので、周りの人の視点を置いてきぼりにしないんですよね。
—— はなちゃんにとっての自分婚は、自分の中の「男性的な部分」と「女性的な部分」が結婚するということで、つまり自分で自分を大切にするということ。これ、とっても素敵で、すごいことだなって思ったんです。
はなちゃん:わー嬉しい。これまで生きてきた甲斐があります。
—— 自分を大切にするって、簡単なように聞こえるけどめちゃくちゃ難しいですよね。私はとても苦手で。自分の心の中を掘り下げようとすると、しんどくなってしまうんです。
はなちゃん:自分の気持ちを掘り下げる作業は、本当にしんどいです。大変でした。
失恋がきっかけで「幸せになりたい」と思うようになりました。しなやかな人になろうと、「しなやかノート」というのを書いたりしました。内容は『いつも笑顔で』とか『口角上げて』とか、なんか、全っ然しなやかじゃなかったんですけどね。特に書き始めの頃は。いままで積み上げた自分と向き合いたいと思い、年表を作ったりもしたんです。
はなちゃんが自分の気持ちと向き合い続けた結果として選んだ「かぞく」の形が、自分婚。
そこに至るまで、少しずつ、必死に走ってきたことが分かりました。
「かぞく」の形は、必ずしも夫婦や血縁関係のみで決まるものではなく、人が生き方を模索する中で選んだり創るものでもあるんだなと、はなちゃんとお話して感じました。
順路③:3階 各イベント会場、ライブペイント 〜私にとって「かぞく」とは?を問う〜
最後は3階。ちゃぶ台やYogiboが置いてあり、さながらリビングルーム。
4階を見た後は、頭も心もパンパン。コーヒーとあんぱんでホッと一息つきました。
「かぞく展」は、1階 → 4階 → 3階 という順路ですが、
1階は、自分の中だけの世界。4階は、自分の世界の外を知る場所。そして3階は、外から少し中に戻ってきたような感覚で、なんとなく安心感がありました。
3階では対談や映画上映などを開催。
こちらは、ジャーナリスト佐々木俊尚さんと櫨畑敦子さんのトークイベントの様子。
写真後ろのカラフルな壁が、CHAPAWONICA(ちゃぱうぉにか)さんによるライブペイント。
なんでかよく覚えてるんだよなあ・・っていう出来事って、ありませんか?
そうした頭の片隅にある「小さな物語」をもとにライブペイントが作られていきます。
ペイント中の、まゆさんにお話を伺いました。
まゆさん:あっちゃんからは「壁を好きにしてほしいねん」ってことで、さーてどうしようかな?と考えました。「かぞくって、なんだろう?」と問いを投げかける展覧会だから、「こういうのを書いてね」とテーマを決めすぎてしまうのも、なんだかおかしいなーと。
来場者の皆さんは4階で、ある意味規格外の「かぞく」に触れてから3階にくる。
3階は『自分にとって「かぞく」ってなんだっけ?』と、来場者が自分の中に「かぞく」を問う場所だと思ったんです。
だから、『なぜだか印象に残っている出来事やシーン』『誰にも言ってないけど記憶に残ってる一瞬』
こうしたエピソードを書いてもらい、そこからエッセンスを拾ってペイントにしていく、というイベントにしました。そのなぜか残っている一瞬が、その人にとっての「かぞく」にリンクしやすいのではないかと思ったんです。
普段は写真を撮ってくれるちあきちゃんには、記憶を呼び起こすスイッチがあるような、そんな余白のある写真を壁に貼ってもらっています。
お話を伺ったのは、「かぞく展」の初日。
まゆさん:これからどういう形になるか私もわかりません。最後はどうなるんだろう?風景かもしれないし、具体的なものになるのかもしれない。
新しいエピソードが壁に貼られるたびに、ペイントもどんどん変化していきました。
描いては潰す、分厚くなる。さまざまな色、多様なモチーフ。
かぞく展の主催者、「かぞく」当事者、来場者、いろいろな人の人生や多彩さを、アートで感じることができました。
こちらは会期の途中のペイントの様子。初日とは全然違いますね!
最後にまた、1階へ
帰るときには必ず、また1階を通ります。
見終えてからだと、はじめに「広すぎる」と感じた部屋の余白が、それぞれの「かぞく」のストーリーや、展示を見て巡る思いなどで、ちょうど良く埋まっているように見えました。
こちらは、櫨畑さんが書いたもの。『自分の中の「家族」の手札』という言葉が印象的。
櫨畑さん:順路を追って展示を最後まで見ても、はて?よく分からない?という方もいらっしゃると思います。血縁による伝統的な家族観とは別の「かぞく」があることを受け入れることが難しい、そこから遠い。今回の「かぞく」のような方が普段周りにいないなど、その方の生活環境によるところもあるので、それは仕方がないことです。
でもまずは知ってもらうことで、同じような形態の「かぞく」に出会ったとき、「あ、それ聞いたことあるな」と、そうした「かぞく」や人への理解が進むきっかけになるはずです。特に看護・教育・福祉の現場にいる方には、ぜひ知っていただきたいと思っています。
「かぞくって、なんだろう?展」に込められたメッセージは、多様でありましょう、ということではありませんでした。
「かぞく」にはいろんな形があることを知ること。
形をなんとなく知っているだけでも、周りと手をつなぎやすくなったり、自分の選択肢になったり、次につながること。
もし「普通」が辛かったら、「普通」とはちがう、居心地よい「かぞく」の形を探しても大丈夫なこと。
これらのことを声高にではなく、呼吸をするように自然に感じることができる展覧会だったと思います。