コラム

【はしもとのあしあと】Vol.20 子どもにとって家事は生きる上での「遊び」の一部では?と感じた話

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皆さまこんにちは。あしあと、なんと20回目ー!
いつもお読みいただきありがとうございます!

さて今回は、子どもの「お手伝い」にまつわる話です。

お風呂を洗う3歳半

友人の家に行った時のこと。
3歳半くらいの息子さんに友人が「〇〇くん、今日お風呂洗う?」と聞いていました。

友人曰く、お風呂に入りたがらない息子さんが、この方法なら自分からお風呂に入るので、取り入れている方法なのだそうです。
気分によっては洗わない日ももちろんありますが、それはそれで。

この光景に、実は大変驚きました。

子どもが自らの「やりたい!」に基づいて家事をしている

私は、家事は「やりたいかどうか」ではなく「こなすもの」であり、大人がやるものと考えていました。

というのも、子どもと一緒に家事をすると時間や手間がかかるから。
娘からの「私もやりたい!」というリクエストに応えて一緒に家事をした結果、余計にイライラしてしまった…という経験があり、そこからは私の気持ちを穏やかに保つために、基本的に子どもに家事はさせない・大人がやる、という考えになりました。

しかし、友人宅でのお風呂洗いの件を見てからは、そもそも「家事=子どもにとってのお手伝い」という位置づけが、本来の在り方ではないのかもしれないと考えています。

家事を「お手伝い」として「お願い」した時、我が家の5歳の娘を見ている限りですが、その家事を「本来自分がやらなくても良いもの」「好きな程度やれば良いもの」と捉えている傾向があるように思います。

“主体性”や”当事者意識”ということなのかもしれませんが、だからといって、家事に主体性を持ってよ!と娘に声掛けをするのも何か違う。人間、義務感や一時のテンションだけでは続かないし、そもそも子どもには伝わりません。

家事は「こなすもの」でもありますが、おそらく、生きる上での「遊び」の一部であって、本人が「やりたい!」と思えることが大事なんだろうなと思います。

家事を「お手伝い」に分類しなくて良いと思ったら、子どもの育ちのためにやらせなくてはならないものでは無いんだと気づき、私がだいぶ楽になりました。

やりたいかどうかを聞いてみた

翌日娘に「お風呂掃除やりたい?」と聞いたところ、目をキラキラさせて振り向いて「やりたい!」と返事がありました。
いつもは大人がやっていることを自分もやっていいんだ!という好奇心かな?と表情から読み取りました。

その後なんと、10日近く続けてお風呂掃除を勝手出てくれました。
1人だとつまらないようなので、私も一緒に浴槽に行っておしゃべりをしながら洗いました。

娘がお風呂洗いを担当する時に私自身が気をつけているのは、後から文句を言わないことと指導しないこと
お風呂に入っている時に洗い残しを見つけて「ここ、もうちょっと洗えると良かったね」と言うのではなく、お風呂を洗う時に一緒に洗い残しを確認し、丸投げしないように気をつけています。
家事は私の仕事でも娘の仕事でもなく、同じ家に住む私達の仕事だと思うからです。維持はみんなで。

洗い終わったら「ありがとう!」と声をかけることも多いですが、かけないこともあります。
本人がやりたいからやったことに、私の主観でお礼をするのも過度で、遠慮がすぎるかもしれない…と思うためです。

最近は「お風呂掃除?やらなーい」という返答も多いですが、「やりたい」に基づいた行動ができること・行動したことでどんな喜びや楽しさがあるかを本人が味わえることが1番大事だと思うので、今はやりたくないのね〜くらいで見ています。

生活に関することは、大人と子どもの間に線引きをするものでもないし、得意・不得意や経験の量に違いはあるにしても、だから大人が「やらなきゃいけない」という義務感で行うものでもないのでは?
そう自分が捉えてしまっていただけだったのだなと、感じています。

年齢に関わらず「やりたい」という思いは大事だなと、学びになりました。

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