コラム

【はしもとのあしあと】Vol.17 意識して一線を引く話

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

朝晩冷えてきましたね。
2歳の息子の薄くてふわふわな髪の毛に顔をうずめると幸福を感じる季節になりました。

さて、私は思い入れが強すぎる「こと」や「人」に依存してしまう傾向があります。
自分では気がつかないうちにそうなっていて、依存の状態が続くと、心身共にひどく消耗してしまいます。

今回は、その依存状態から戻ってくる、あるいは依存しないための予防策を発見したので、そちらについて書きたいと思います。
(あくまで私の場合です!)

共感性が高すぎて時にとても困る

自分で言うのもなんですが、私は共感が得意です。
お話しする時、「へーそうなんですね!」「なるほどなるほど、それは確かに」という言葉を連発しながら
受け答えするのですが、決して適当にお返事しているわけではなく、本当にそう思いながら話しています。

しかし共感性が高いゆえに、自分が真剣になっている「こと」や「人」に入れ込みすぎてしまって、自分や周りが見えなくなることがあります。

一定の感情に捉われ、客観性も失ってしまうので、いつもならスムーズに判断・行動できることも、手や頭が動かなくなってしまいます。

行動パターンが「(入れ込んでいる)こと」や「人」のためになってきて、自分自身に対してOKを出す基準が、相手がOKと思っているかどうか、になってきます。

度が過ぎると自己嫌悪に

自分以外の他者や世間からの期待(本当はそんなものは無いのだけれど)を軸に生きることが続くと、次第に「罪悪感」と「恨み」が湧き上がってきます。

惚れている「こと」「人」に対し、何とか自分のできることで役に立ちたいと思って行動すると大抵うまくいかないのですが、そのことに対して、自分にOKを出せなくなってしまいます。
「こんなんじゃダメだ」「自分はダメだ」「なぜこんなこともできないんだ」と、相手の期待に応えられない自分を責めてしまう。

といっても、実際に誰かから期待をかけられたわけではありません。
私が「きっとあの人ならこう思うだろう」と思い込み、その思い込みを満たせる行動をしないとダメだ、と決めつけてしまうのです。

そのうちに「どうしてあの人は認めてくれないの?」という逆ギレ状態になってきます。他人のために自分を犠牲にしてがんばっているのに、あの人は私を大事にしてくれない!と怒りが湧いてしまうのです。

勝手に傷つき、その後だんだんと冷静になるにつれ、「どうしてこんなに依存的な判断をしたのか?」と自己嫌悪に陥ります。

いやもう、こうして言葉にすると、なぜそうなる?と自分でも思いますが、飲み込まれてしまって日常生活がままならず辛いので、なんとかしたいなと思っていました。

一線を引く

共感や感情移入が得意なこと自体は、良いことだと思っています。

でも共感のチューニングを誤ると、帰り道が分からないまま、絆創膏も持たずにいばらの道に入っていくようなもので、少なくとも私にとって、それは無謀なことだと思うようになりました。

そのため、対峙する「こと」や「人」を気に入りすぎていると感じた時は、それらと自分との間に、一線を引くようにしました。

一線を引く場所は、

“他人”と”自分”の間、
”仕事”と”自分”の間、
”自分の嫌いなところ”と”自分”の間、

と、いろいろ。
なるべく、なるべく、思い入れていること・気になることから距離を離します。

これだけで冷静でいられることが増えたし、無下に自己評価を落とすことが少なくなりました。

適切な距離感を保つことは、自分を守り幸せになることでもある

共感が高まりすぎてしまう理由はおそらく、「私は孤独じゃない」「拠り所があった」と、安心できるからです。

でも距離を縮めるから幸福になるわけではないことが分かりました。
相手と一定の距離を保つことは、その相手に嫌われる原因になると思っていましたが、それが違うことも分かりました。

ちょうど良い距離感があり、微調整しながら毎日生きるということなのかなと、感じています。

あえて一線を引かずにチャレンジする、一線を引く場所を間違わない、これもできるようにはなりたいですが、それはもう少し絆創膏を貯め、帰り道が見えてから、取り組みたいと思っています。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す

*

CAPTCHA