コラム

【はしもとのあしあと】Vol.14 自分の生活範囲から「戦争」について想像する

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あああああ。
毎日暑いですね。

めちゃんこ突然ですが、私は日本史が好きで、中でも昭和史・太平洋戦争あたりに最も興味があります。
興味を持ったきっかけは、一緒に住んでいた祖父母から戦争体験を聞いたこと。

今回は8月ということで、「生活範囲からどう戦争を想像するか」について書いていきます。

想像して、認識する

先日、保育園に送る道すがら、5歳の娘が道路を眺めながら「ねえ、なんでこのあたりは壊れていないの?」と言いました。

何のこっちゃでしたが、最近アベンジャーズなどのアクション映画や戦隊モノをよく見ているので、ヒーローと怪獣が戦って壊れた街と、いま見ている風景がリンクしたのかなと思い、「壊れたときもあったかもしれないけど、誰かが直したんだよ」と答えました(娘は、「ふう~ん・・」とのこと)。

子どもは自分の住んでいる世界を、想像しながら認識しているんだなあと、興味深く聞いていました。

戦争がいま起きたらどうなる?と想像した

「想像して認識する」という経験、私にとっては「戦争」がまさにそれでした。

幼稚園の頃に見た戦争のアニメ映画に防空頭巾をかぶった小さい女の子が出てきて、その子が自分と同じくらいの年齢でした。感情移入しながらその映画を見て「私もお父さんやお母さんと離ればなれになったら悲しいな」と感じ、戦争=悲しい、怖いという認識を得ました。

そして小学生になってからは、戦地に行った祖父、空襲を経験した祖母からも話を聞く機会がありました。

これが正しい、という有無を言わせぬ大義名分のもとに私の日常生活が乱されること、家族や友達が突然いなくなる状況やその理由を想像したらひどく恐ろしく悲しくなり、「なんで日本は戦争なんかしたんだろう」と怒りを抱くようになりました。

生活がどうなるかを想像すると、身近になる

2019年で戦後74年。

小学生のころ「戦争が終わって50年、子どもたちにどう語り継ぐかが大きな問題」と、おばあちゃんがお話している様子をテレビで見ながら、「語り継がれた立場の私は、このことを覚えていなくてはいけない」と使名感を持ちました。

しかし同時に、日本全国の子どもたちが、お話を直に聞き、その深刻さを覚えていようと思えるわけではないとも思いました。

私は祖父母が近くにいたので共感しやすかったのですが、そうでなければ他人ごとになりやすく、戦争を知っているかどうかが、本人の興味のある・なしや、興味はあってもその痛ましさを受け入れられず、結果何も考えられない、というケースもあるように、周りの友達を見ていて感じました。

戦争について「過去にあったできごと」ととらえるより、「太平洋戦争が起きたらいまの生活がどう変わるか」を想像すると、具体的にイメージしやすいし、受け入れやすい形として、身近になってくるのではないかと思います。

例えば、
・空から爆弾が落ちるからプールに行けない
・金属供出でフライパンやボウルが家から無くなりまともにごはんが作れない
・エネルギーの節約でエアコンが使えない
・スマホやアプリの利用が制限される

などなど。

その程度、のことなのかもしれないけど、生活がガラッと変わり、つまらなくなり、さらに命の危険があり、でも「それが当たり前で正しい」という社会になっている、と想像すると、これは結構怖いことだなとイメージが湧くのではないかと思います。

戦争についてはやはり、忘れてはいけないと思います。
そのために、いろいろな角度・深さでのアプローチがあること・できる世の中であることは、重要だなとも感じます。

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