コラム

【はしもとのあしあと】Vol.13 自分をかわいいと思えることの素敵さに気づいた話

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梅雨ですね。油断するときのこでも生えてきそうです。

さて今回は、私自身の「おしゃれ」と「自己肯定」にまつわることについて書きたいと思います。

私は「おしゃれ」が、大変苦手です。
自分に似合う服や配色といったテクニックの部分だけでなく、「私ごときがおしゃれだなんて」という、自己否定で考えてしまうという点で苦手です。

おしゃれの目的は、人に認めてもらうため?

外見をかわいく見せようとすることが苦手だと自覚したのは、中学生の頃。
制服で先生たちの目もあるので、そもそも大したおしゃれはできないわけですが、それでも、スカートの丈、シャツのちょっとした着くずし、カバンにつけるアクセサリーなど、みんないろいろと工夫して楽しもうとしていました。

私はそんな友人たちを観察し、「みんなが身なりに気をつかう理由は、人からかわいいと言ってもらうためだ」と考えていました。

私も「かわいくありたい」という気持ちは少なからず抱いていましたが(今思うと、おしゃれする理由なんてこの動機だけでよかった)誰かに認めてもらうためにお金と時間を使うなんてもったいないなという気持ちも大きくありました。

おしゃれをするなんて恥ずかしい

私は特別容姿が整っているわけでもなく、服のセンスがあるわけでもなく、もともと生真面目な性格で、さらにメガネをかけているので学校では輪をかけて真面目カラーがついていました。

そんな私が、かわいくあろうとがんばったら、どうなるだろう?
なけなしのセンスを「がんばってる」とか「なんか微妙」と笑われ、あんな真面目な人でもだれかに好かれたいんだ…と思われるかもしれない。
想像するだけで恥ずかしかったです。まあ、想像してただけですが。

高校1年生の時、1階の渡り廊下を歩いていたら、3階の3年生男子から「オイ!そこのブス!」とげらげら笑いながら言われたことがあります。
あんたたちのためになんか生きてないわ!と憤慨しつつも、気にしてるからめちゃくちゃ悔しかったし、恥ずかしかったです。
「やっぱり現実的にかわいくないよなあ、私」と、思い知ったような気分にすらなりました。

誰かに認めてもらうためにお金と時間を使う価値が、私自身にも周りにも、そこまで無いんだよなーと、とても冷静に思っていました。

自分がやりたいなら、やる方がいい、やっていい。

イラストや文章を書くお仕事を始めてから、大変なことはあれど、私自身がやりたいことをすることは、基本的にとても幸せなことであると実感しています。その中で、おしゃれも、他人の目ではなく、私がしたいと思うならすれば良い、楽しめば良いということに気がつきました。

そう思ってやり始めたおしゃれというのが、イヤリングをつけること。
本当にちょこっとしたチャレンジなのですが、「いや似合わないよ」と自分で自分を冷やかしたりせず、わーこれつけたい!とテンションを上げ、実際にそれをつけた自分を鏡で見て「お、かわいいぞ、私」と、素直に思えました。
これは本当に嬉しかったですし、幸せな気持ちになりました。

「おしゃれで気分が上がる」と言ったりしますが、私の場合は上がるというより、おしゃれをすることにそこにいる自分を肯定できるようになる、そんな感覚に近しい気がします。

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